2008年10月12日

こっちのやさしさ

前のブログを書いたところでだんだんこっちの仕組みが読めてきた。
どうぞご勝手に精神が表わすように、いい加減さやルーズさの根底には徹底した個人主義があるんじゃなかろうか。時間に遅れたって、ストで交通がストップしちゃったって、郵便がなくなっちゃったって、やる側もやられる側も、ていうか誰も他人の心配なんかしてないんじゃないだろうか。だとしたらとても嬉しい。

日本はやたら「みんな一緒に」が多い。村八分なんか、精神構造をうまく利用した支配方法だよなぁと感心する。学校でも「みんなと仲良くしましょう」とか平気で言うし。こんなことを吹きこむより慇懃無礼でも教えたらどうだろうか。と昔法律の授業で先生が熱弁してて感動した。(それは置いとくが、これ、良くも悪くも昔から日本人に染み付いた精神なのでは、と思う。アメリカのジョーク集にも載ってたし。)
それから、たとえば駅の構内の案内板の多さ。電車は時刻表通りに来るし、アナウンスもいちいちこと細かい。こっちがボケっとしててもみんなと一緒になれるようにお膳立てしてくれる度合いが多い国なのだ。

で、そういう「万人に共通せねばならない精神」って、裏を返せば「ここまで与えてもわかんないやつはバカ」ということでもあるんじゃなかろうか。何かを聞いても返ってくる答えはその「共通認識」を前提にしていることが多いし。

だからバカで小心な私は人にものを尋ねられない。だって説明されてもわかんないから。道順を言われても途中で忘れちゃうんだよ、そもそもわかってないから。案内みてもわからんものはわからんのだよ。でも逆に同類の匂いを嗅ぎつけてか、人からものを尋ねられることはずこぶる多い。一度泣きそうな顔をした女の子に電車の乗り換え方を聞かれ、一緒に電車を降りて乗り継ぎの駅まで戻り、ややこしい構内を連れ歩いて乗り換えの改札まで行き、彼女が電車に乗るのを見届けたこともあった。きっと駅員さんにも聞いたんだろうが「それは○○線なので一端改札を出て乗り換えですね」とかサラっと言われてしまい、わからなかったんだろうな。

というわけで人によっちゃ、親切なようでそうでもない国日本。

一方こっちは、標識をはじめ、提供されるインフォメーションが少ない。バス亭やトラムの駅は、駅名が書いてなかったり、近寄って見ないとわからないくらい小さな字で書いてあったりする。役所関係の手続も然り。誰も親切丁寧に教えてくれたりしないので、情報を知らなかったら損、というのが基本。インフォメーションがやってくるのを待っている人は馬鹿をみる。

そのかわり、がんばって調べたり誰かに聞いたりすれば得られる情報はとても多い。特に人はとても親切に教えてくれる。それも小さい子供にもわかるレベルで。そもそも、情報は聞くもんだという空気がそこかしこに漂っている。だから私はいろんな人にものを尋ねながらなんとか普通に生きている。物乞いのおじさんに道を教えてもらったこともあったよ。

なんか不便、と思う人は単純にこの仕組みに向いていないってだけだが、そもそもこれが今の社会の仕組みの素だったなぁとも改めて思う。がんばって得しようとする人がいるからこその資本主義だし、がんばらないと手に入らないものがなければ誰もがんばらないもの。それがまだまだ人力ベースなところが、まともでよかったなぁと思うベルギーなのであった。(医療保険とか福祉とかについては全然知りませんが)
イタリアはコネ社会だと友達が言っていたけど、あれもあれでいい社会の仕組みだ。そしてこういう社会に宗教の重要をつくづくと感じる。(それはまた今度)私としては公正かつ順序正しく管理された社会は気持ち悪い。そもそもみんなが幸せなんて状況が気持ち悪いだろ。そしてそんなものを目指してはいかん。(あくまで同じ基準に照らした時の幸せ度の話であって、個人の心の幸せの話ではないです)

たくさん反論や批判はあるでしょうが、少なくとも私にとっては「損するも得するも個人次第、干渉しないから勝手にやって頂戴ね」というこの国は、まともで人に優しい国なのであった。

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