スタジオの最初の授業で先生が、「我々の仕事はBPDみたいに、社会学や統計・政治問題とかと、都市や単体としての建築の間を行ったり来たりするはめになるんだよ。」と言っていた。Borderline Personality Disorder=境界性人格障害は、不安な自己を抱えていて、感情や行動がぐらっとあっちの世界に行ったり、こっちの世界に行ったりする症例。医師じゃないのできちんと説明はできませんが。昔映画も流行った。ウィットな言い方するなぁと思うと同時に、とてもホッとした。あっちとこっちの2面をもっていていいんだ、と。
建築を設計する人は、この2つは別問題であっても一方にもう一方をうまく取り込んで提案しなきゃいけない(のだろう)。というかうまく取り込まないとやっていけないよ、という面が実際あるからかも。パトロンがいなきゃ空想の世界で終わるわけだし。
私はいつもこの2つの間をうろうろしている。わかりやすく言えば喧嘩の仲裁に入ったくせに、どっちの意見も一理あるよねぇ、と言って役に立たない人、ってかんじか。いいか悪いかは何年もあとにならないとわからないんだから、とりあえず状況を打開するドラスティックな案をださねばならんのじゃ、と思う一方で、別に放っておいたってそのうち自然淘汰で変わっていくんじゃない?とも思う。
先生がどこまで“境界性”を皮肉として使ったかはわからないけど、ふらふらして不安定なままを実態として言ったぞ、と勝手に解釈。統合しなくてもいい
どうもこっちの国はそういうところが自由だ。個人の意思を枠組みにはめようとしない。その人が正しいと思うことは、正しいままでよいのだ。間違ってても、あえて指摘したり、こうせよと矯正しようともしない。
同性結婚を一番最初に認めたのはベルギーだと聞いたし、実際そっち系の人がたくさんいる。長い間言語戦争があったけど、結局どちらかに統一されることもなかった。現在は学校もフランス語ベースのところとフラマン語ベースの初等教育の段階から別れているらしい。それに、もとい移民も多いから色んな国の言葉が日常に使われている。多国籍なのはアメリカも一緒だけど、みんなの態度が違う。向こうでマイノリティーは闘って権利を勝ち取るのだ、という血気溢れるかんじがあるが、こっちはどうぞ勝手に、という雰囲気がある。長いごちゃごちゃを乗り越えてきたのちの世渡り術、という気もします。なんにせよ、とてもありがたいことである。
もとい、ブリュッセルという都市自体、ベルギーという国自体がBPDだという見方もできる、かも。とかいうととたんに胡散臭くなるのであった。
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