チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の1番と、ベートーベンの交響曲第7番の2番目にはまりました。毎日この2曲をエンドレスリピートで聴きながら模型作ってます。精神的にもいい感じの緊張状態に持ってかれるかんじが好きです。そのせいか、模型の隅部にキレが出てきているような気がしないでもない今日この頃です。
決してクラシックをよく聴くわけではないですが、友人のせいでアルゲリッチにはまってショパン漬けとか、とあるカンパニーのバレエをみて以来ストラヴィンスキーやバルトークを聴きあさり、ショスタコーヴィチにはまり、マタイ受難曲にはまり、異国でライヒにはまり(この時はさすがにおかしくなるかと思った)、割とこの1、2年は頻繁にクラシックがマイブームだった気がします。"雨の日の露天風呂システム“で、合間合間にラテンやジャズやブームもやってきてはいたわけですが。
もとい、ヴァイオリン協奏曲はギル・シャハムという人が弾いてるやつ好きなのですが、この人は早熟の天才で(まぁ大概音楽家って早熟の天才が多いみたいですが)、7歳でヴァイオリンを始めて10歳でコンサートデビューしています。
それがどうしたかというと、普通に凹んだ、という話です。
4月になりまして、新しくM1が入ってきて焦ったり(まぁあまり学校行ってないんで、まだ2回しか会った事はないですが笑。)、友達が働き出したり、社会人2年目とか3年目の人はもうすっかり板について見えたり、一方で自分の好きな道をとことんがんばってる人を見たりして、非常に混乱しまくりのここ1、2週間でした。
“好きな事をやる”って何なのだろう、と最近つくづく考えさせられます。
例えば、自分が好きな事をやった結果、周りを振り回したり犠牲を強いたりすることって、よくないだろうな。とか。
好きな事のために、他の諸々を犠牲にするって、本当に幸せなのかな。とか。
好きな事を1つやってドカンと得られる幸せと、他のことから些細に得られる幸せの蓄積だったらどっちがいいかな。とか。
就職然り、生き方然り。
シルヴィ・ギエムが劇中のモノローグみたいなので言っていたこと。
「スヌーピーのサリーはとても楽しそうに飛び跳ねている。・・・でも突然虚しくなって泣き始める。」
「私には好きな事がある。それは素晴らしい事だけど、本当に大切なことか?必要な事か?」
「楽しいということだけで踊っていて良いのか?」
「そこで、こう考える。これはバランスの問題だと。」
「正しいか、間違っているか。」
「私がやっていることは間違いではない。 it's not negative.」
「it's not negative, so it's positive.」
うろ覚え&あやふや翻訳ですが。その時には、ただの台詞としか思わなかったけれど、改めて思い返すと、井戸の底に垂らされた1本の縄梯子的な感慨があります。井戸底にはまっちゃって抜けられない私としては。
とかなんとかぐだぐだ言いつつも、心の中では割と決心しちゃってるんですが。あとはどう動かすかです。ここ最近、私の陰湿な空気とメソメソした言動におつき合いくださった皆様、ごめんなさいそしてありがとう。
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